INTERVIEW

すでに言葉以上の共通言語ができあがっていた。
それに基づいて理想の形に近づけていくようなイエづくりでした。

川島邸

川島邸

川島さんがイエづくりに掛けた歳月は実に三十数年――この年数は、入力ミスでもなければ、誇大表示でもありません。この歳月によって培われた関係性こそが、川島さんの理想のイエを作り上げました。

「賢太さんとは幼稚園時代から一緒に過ごした幼馴染なんです。今はこうして佐賀に暮らしていますが、元々、波佐見町の出身なんですよ」
 

川島邸

現在、川島さんが暮らしているのは佐賀県・吉野ヶ里町。脊振山を近くに感じる開けた土地で、周囲に田畑が広がるのどかなロケーションです。それ以前は、川島さんが美術の教諭として福岡の高校に通っていたこともあり、福岡で暮らしていました。

「妻は英語の教諭で、その勤め先が佐賀市内の中学校になったんです。妻の通勤に負担を掛けたくなかったこと、そして子育ては自然豊かな場所が良いということもあり、どこか良い地域がないか探していたんです」という川島さん。ようやく見つかった理想の土地がこの吉野ヶ里でした。
ただ、すぐに土地が購入できたわけではありません。この土地のことを深く知るため、そしてその地で暮らす人々と触れ合うため、近隣の農家を訪ね、その収穫を手伝ったという川島さん。さらに、実際に買おうとしている土地の近くにある借家に試験的に住んでみるなど、十分に時間を掛けました。足掛け5年、140坪の土地を購入することになります。

「最終的に目の前に広がる雄大な景色に惹かれてここに決めました。子供たちが通うことになる小学校や中学校へも遠くありませんし、相撲など昔から受け継がれてきた地域の行事が今も残っているところも気に入っています」。
 

川島邸
川島邸

土地も購入し、いよいよ川島家のイエづくりが始まります。「イエを建てるならお願いするよ。幼い頃からそう言っていましたが、それがようやく現実になりました」と川島さんは頬を緩めます。
相談を受けた賢太さんの頭を悩ませたのが、この土地における最大の特徴でもある傾斜の生かし方でした。すぐには答えが出ず、しばらくの間、寝ている時以外は常に解決策を思案していたそう。
ある時、頭に一つの形が思い浮かびました。「平家と二階建て住居をドッキングさせたらいいんだ」。これだけを聞いても、なんのことを言っているのかさっぱり分からないかもしれませんが、簡単にイメージできないようなイエの形を賢太さんは閃いたのです。

「まず傾斜によって低くなっている場所に基礎を作り、そこに2階建てのイエを建てるイメージですね。そしてその2階建て住居の土手っ腹、つまり1Fと2Fのちょうど中間あたりに平家をくっつければ、この土地らしいイエになる。そう賢太さんに言われた時は本当に驚きました」という川島さん。賢太さんは「本当だったら川島さんの好みからすると平家が良いだろうなと思いつつも、それでは敷地面積に対して部屋数が十分に確保できませんでした。その打開策が2階建て住居を組み合わせた形でした」と続けます。
 

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