INTERVIEW

嬉野とゲストをつなぐ。
その橋渡し役を
旅館として担っていく。

旅館大村屋

大村屋 嬉野とゲストをつなぐ。 その橋渡し役を 旅館として担っていく。

1830年に嬉野の地で創業した老舗旅館「大村屋」。その15代目を25歳の若さで背負った北川健太さんと話していると、あの言葉を思い出しました。
「やらなきゃならないことをやるだけさ。だからうまくいくんだよ」
ずっと覚えている、ある映画の中のフレーズ。とてもシンプルだけど、迷ったり、立ち止まったりしたときに、ふと思い出し、心を静かに落ち着かせてくれる言葉です。
 

1830年に嬉野の地で創業した老舗旅館「大村屋」。その15代目を25歳の若さで背負った北川健太さん

初めて会うまでの北川さんのイメージは、廃業寸前だった旅館を立て直した若き、聡明なアイデアマンでした。実際に会うと、イメージ通りではありましたが、さらに別の人物像が上書きされました。ぶれることなく歩んでいく人。強さがあるし、愛がある。だからうまくいくのだと思えたのです。

北川さんが故郷の嬉野に戻ってきたのは2008年のこと。高校を卒業後、東京の大学へ進学。大学時代は音楽に没頭し、将来の夢もバンドマン、もしくは音楽雑誌の編集者といったように音楽一色の人生でした。
聞けば、元々、旅館を継ぐという意識はなかったそう。「音楽に熱中していて、それ以外の道は考えていなかったんです。ただ、バンド活動と並行してできるアルバイトを探したところ、ホテルのベルボーイという仕事に巡り合いました。ホテルと旅館は同じ宿泊業なのに、使われ方がまるで違って。それで興味が湧き、大学を卒業後、就職したのが旅館の立ち上げなどを手掛ける会社だったんです」

北川さんはこうして引き寄せられるように宿泊業へ。およそ2年勤めた頃に実家から「戻ってきてほしい」という連絡がありました。
「帰って来るなり、すぐに金融機関や税理士が一堂に集まる場に呼ばれ、会議に参加しました。とても緊迫した空気だったことを今でもはっきり覚えています」
旅館の後継として紹介されるや、すぐに話は「どうやったら大村屋を再起できるか」という、重たいテーマに。
「旅館再生のために呼び戻されたので覚悟はできていましたが、その場の空気から、本当に逼迫した状況なんだとわかりました」
 

老舗旅館「大村屋」北川健太さん

まさに崖っぷちからのスタートだった北川さんは、すぐに自分が今、やるべきことを思案します。
「僕が継ぐ以前の旅館は団体旅行ありき。旅行会社とタッグを組み、いかにグループ客を獲得するかが勝負でした。自分たちで空室を埋めようという発想もなかったんです。ただ、自分の感覚として、そのやり方は今の時代にマッチしていると到底思えない。まずそこから変えなければならないという考えに至りました」

旅館とホテルとの違いを肌で感じてきた北川さん。ホテルはコーヒー1杯でも利用できるような間口の広さがありますが、これまでの旅館にはそれがなかったと振り返ります。まずは旅館としての在り方を抜本的に変えようと心を決めました。

「例えば、江戸時代から見れば、今日に残っているものは、伝統や文化などの例外はありますが、服装だって食事だって、何もかも変わっているじゃないですか。逆にいえば、それは変わってきたからこそ今があるのだとも思うんです。だからこそ僕は自分の代で変えることに責任を持っています」
 

老舗旅館「大村屋」北川健太さん

変化を厭わない心の強さ————信念があるからこそ、北川さんには変えることにも、変えないことにも良い意味でこだわりがありません。こうして従来の一泊二食のプラン以外にも温泉入浴のみの日帰りプランや食事なしの宿泊プランなど、柔軟に取り入れてきました。そのほかにも、地図を片手にゴミ拾いをしながら街を散策すると宿泊客にワンドリンクサービスという前代未聞の「一日一善プラン」、宿泊客はもちろん、旅館のスタッフも参加して大賑わいとなる「スリッパ温泉卓球大会」、地元の鍼灸師たちと協力し、本格的な鍼灸を気軽に体験してもらうために企画した「もみフェス」などを実施します。
近年では「ピーター・バラカン出前DJ in 嬉野温泉」と銘打ち、ピーター・バラカン氏による贅沢な音の時間を過ごせる企画も大盛況に終わりました。これらは北川さんが手掛けたイベント・企画のほんの一部。どれもキャッチーで、行ってみたい!触れてみたい!感じてみたい!というように、五感がビンビンと刺激されます。

このような事例を噂に聞いてきたからこそ、ぼくは北川さんに対して“アイデアマン”という印象を持っていましたし、大村屋についても「いつも楽しそうなことを企てている個性的な老舗旅館」だと感じていました。ただ、それはとても表層的なイメージだったのです。

「自分がやる意味がない場合はやらない。そういう線引きをしています。文脈がないとやる意味がないんです。例えば、企画したイベントをメディアから取材されたと仮定します。必ず、インタビュアーは『なぜ、これを企画したんですか?』と聞きますよね。その問いにしっかりと答えられること。それができないイベントは企画しません。きちんとした理由がないと、人はついてこないんです」

面白いから、流行っているから、儲かりそうだから、そんな短絡的な話ではなく、周囲の人に、そして地域に必要とされ、自分が、大村屋が、それをやる明確な理由があるものだけを形にする。そういう根っこの部分が一つひとつの企画の土台にあり、ブレないからこそ、イベントに人が集まり、良いサイクルが生まれていたのです。

「僕の場合、まず企画書を作ります。その企画書にタイトル、 キャッチコピー、日時を入れ、アイデアを現実的なものにしていく。自分の中でふわっとしていたものがリアルになりますし、頭の中が整理されます。そうすると誰かに説明できるようになるんです」

例えば前述した「もみフェス」は地域の鍼灸師たちからお客が減って困っているという相談を受けて生まれたもの。地域の課題を解決し、同時に、多くの人々にも喜んでもらえる。これが北川さんの言う“自分がやる意味”なのです。
 

老舗旅館「大村屋」北川健太さん
老舗旅館「大村屋」北川健太さん

もちろんイベントや企画といったアイデアだけではありません。旅館そのものにも北川さんの感性が広がっていきます。

「そもそもホテルと旅館との違いはなんだろうと考えた時、旅館は家の延長だと気が付きました。ホテルには女将もいませんし、良くも悪くもそこで働く人との適度な距離があるように思えました。一方で旅館はとても人同士の距離が近い。いつ行っても知っている顔がある。大村屋に泊まるということは、言い換えると北川家に宿泊していただいているような感覚です。だからこそ、その感覚を自覚した上で、どうやったらくつろいでもらえるか、リラックスしてもらえるかを考えていきました。プランはもちろん、客室、施設においても段階的に手を加えていきました」

里山建築は2013年以降、施工会社として客室リニューアルのお手伝いをしてきました。

「跡を継いで3年くらい経った頃に、客室を作り直そうという話になったんです。その際に里山建築さんに依頼したのが最初の仕事でした。お願いしたきっかけは、里山建築さんのセンスと、賢太さんの人柄ですね。波佐見のモンネ・ルギ・ムックによく遊びに行っているうちに、店主の岡田さんから賢太さんを紹介してもらいました。それから里山建築さんが手掛けているお店や施設のことを知り、ここなら僕の感性が分かってもらえると思えたんです」

大村屋に関する空間づくりにおいては、北川さんの代になってから不動のチームができあがっていました。設計担当は設計士・満原早苗さん。グラフィック担当はデザイナー・長尾行平さん。家具などの什器関係の担当は佐賀の「book Mt.(ブックマウンテン)」。そして、施工は里山建築が担当することにより、それぞれの専門性が最も発揮される関係が築かれています。
 

老舗旅館「大村屋」 什器
老舗旅館「大村屋」 什器

賢太さんは「女性の設計士さん自体は珍しくありませんが、旅館を手掛けているというケースはまだまだ少ないんですよ。満原さんが生み出していく女性ならではのやわらかなタッチ、表現を、しっかり形にできるよう、施工に努めました」と笑顔を見せます。
 

老舗旅館「大村屋」 浜木綿

北川さんが案内してくれたのは、2018年にリニューアルした客室の一つ「浜木綿」です。ここは、元々、2つに分かれていた隣り合った2部屋を一つに。「大村屋」で最も広い間取りとなりました。

「ターゲットにしているのは二世代のお客様です。自分と同世代の方々が『親を連れてきたい!』と思える温泉旅館にしようと。元々、そういうお客様が多かったという背景もあり、大きくその方向に舵を切りました」という北川さん。
「浜木綿」を改装するおよそ1年前には、「湯上りを音楽と本で楽しむ宿」というコンセプトを掲げ、大浴場の湯上りスペースを「湯上り文庫」という、時間を気にせず音楽と本が楽しめる空間へと一新。それに伴い、4つの客室もリニューアルしていました。「浜木綿」はその流れを受け、北川さんが思い描く「これからの大村屋に求められる部屋とスタイル」を具現化したものです。
 

老舗旅館「大村屋」 湯上り文庫

この「浜木綿」は眼下に流れる川を眺められる最上階のスイートルームで、最大6人まで利用可能。客室はバリアフリーに対応し、ベッドはリクライニング機能付きと至れり尽くせり。眺望の良い源泉掛け流しの半露天風呂を備えた浴室、部屋食にも対応できる6人掛けの広いテーブル席も車椅子のお客様を想定した造りになっています。
 

老舗旅館「大村屋」スイートルーム浜木綿
老舗旅館「大村屋」スイートルーム浜木綿 半露天風呂

「この空間には嬉野やその界隈で生産された素材がいろいろと取り込んであるんです」と教えてくれた賢太さん。例えば、壁や建具には佐賀県産杉材が取り入れてあったり、嬉野茶を練り込んだ貝灰漆喰壁が採用されていたり、随所に地元・嬉野の魅力が詰まっています。
 

老舗旅館「大村屋」嬉野茶を練り込んだ貝灰漆喰壁
老舗旅館「大村屋」嬉野茶を練り込んだ貝灰漆喰壁

実はこの部屋には昔ながらの旅館の客室には当たり前のように存在する床の間がありません。限られた空間の中で必要なものを検討していった結果、床の間は不要だと北川さんは判断しました。

「女将にはボソッと『この部屋には床の間がないんだねえ』と言われましたが、さらりと聞き流し、聞こえないフリをしましたよ。上の世代にとってはあって当たり前のものなのかもしれませんが、それは過去の常識であって、今、この場所に本当に要るものなのか、丁寧に判断しないといけないと思っています」

伝統だからといって、何も考えずにそれを踏襲するべきではない。それが本当の意味でお客様のためになるのだと北川さんは言葉に力を込めました。

「よくない、無駄、非効率的、そういったものに気づいていながら変えないのは、お客様のためにならない。ゲストに対して不誠実だと思うんです。食事だって、ご年配の方にとっては、畳に座って食べるよりも、テーブルとイスの方が良いというケースだってありますから」
 

老舗旅館「大村屋」北川健太さん

賢太さんが「そういうことを思い切って実行できるところが尊敬できますね」と言うと、北川さんは「僕も里山建築さんの掲げている『まずはお友達から、始めませんか』というキャッチコピーにはとても共感できます。これからの家づくりにおける最先端の感覚だなと思えますね。こうやって感覚の近い仲間が周りにいることはありがたいことです」と笑顔で続けます。
 

嬉野茶時

今、北川さんが情熱を注いでいるのが「嬉野茶時」という活動です。嬉野に根付いてきた1300年以上の歴史がある温泉、400年に渡って受け継がれる肥前吉田焼、500年の歳月が育む名産品「嬉野茶」、これら3つの産業に注目し、これらを個別ではなく、まとめて体験できる方法がないかと思案して生まれました。

「ちょっと見に行きますか」という北川さんの好意に甘え、山手に車を走らせと、周囲の緑はどんどん濃くなり、野鳥の声も大きくなっていきます。しばらくすると、時折、視界に緑の絨毯が広がるようになりました。色鮮やかな茶畑です。景色の中に茶畑がどんどん増えていき、視界が開けた高台に辿り着くと、「ここです、そこに車を停めてください」と北川さんは促します。
 

嬉野茶寮

待っていたのは、茶畑の真ん中に用意されたウッドデッキのスペース。まさに180度のパノラマビュー。眼下には嬉野の町が広がる気持ちのいいロケーションでした。ここは、嬉野茶時の活動の一つ、「嬉野茶寮」という企画で利用されているそう。「嬉野茶寮」とは、嬉野に暮らす若手の茶農家たちが育てたお茶を自ら振る舞い、もてなすという企画。この日は純粋にこの場所の見学に来ただけなのですが、とびっきりの気持ち良さに、同行スタッフ一同、心から感激し、しばし、この特別な開放感に浸っていました。
 

嬉野茶時

「僕たちはここを天茶台と呼んでいます。屋外でのお茶の体験は、きっとゲストにとって忘れられない思い出になると思っています。ただお茶を飲んでもらうだけでなく、空間と時間も売り、ティーツーリズムとして、見て、触れて、感じてもらう。そして、嬉野は気持ち良くなる場所だというイメージが広がっていけば良いなと思っているんです」

北川さんはそう言った後、ひと呼吸おいて、「嬉野という街全体を楽しくしたいし、好きになってほしいんです」と続けました。
「嬉野茶時」もその目標に近づくためのアイデアの一つで、北川さんはコペンハーゲンを例に挙げて、こんな話をしてくれました。
「コペンハーゲンでは2017年に新しい観光促進戦略が打ち出されました。要約すると、観光客を観光客としてではなく、一時的な市民として迎え入れるということ。日本では旅行に出掛けると、その相手と一緒に食事をとりますよね。それを例えばお茶農家の家族と一緒に食卓を囲むというように、観光客という枠を外してあげるんです。観光客として特別扱いされたい観光客って減っていると思っています。だからこそ、僕たち旅館が率先して、旅の在り方を再定義できればと考えています。宿泊者と嬉野の町とが近くなれば、その方々はきっとまたこの街に戻ってきてくれるはずです」

一日一善プラン、スリッパ卓球大会、出前DJ、どの企画においても、主催者側と参加者側の垣根がなく、フラットだと感じていたのは、北川さんのこのような考えがあったからだったのだと感心しました。
 

老舗旅館「大村屋」北川健太さん

「ゲストと街、ゲストと人、その接点、つながりをどのようにして作っていくか。この先もずっと考え続けていかなければならないテーマですね」

実は先に紹介していた「湯上り文庫」に収蔵されている本は、嬉野在住の50人が選書しているそう。その意図も明確です。

「本が気に入ったら、その人のことが気になって、実際に会いに行けるじゃないですか。本をきっかけにつながりが生まれれば、これほど嬉しいことはありませんよ」
 

老舗旅館「大村屋」北川健太さん
Text:Yuichiro Yamada(KIJI)
Photo:Yuki Katsumura

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